Beautiful Wave

パワプロ再現だったり応援歌だったり…

黒木 知宏(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

ルーキージョニー、フル回転。

<選手紹介>

黒木 知宏(くろき ともひろ)

1973年12月13日生まれ 宮崎県出身

延岡学園高-新王子製紙春日井-千葉ロッテ(1995-2007)

 

<1995年成績>

20試合 5勝7敗 3.71

 

<寸評>

1994年ドラフト2位(逆指名)で千葉ロッテに入団。

1年目はリリーフでも登板したが、リリーフ7試合で0勝5敗で5.27と散々な成績に。

6月の末に初先発するとその試合で毎回奪三振の12奪三振で完封をおさめ、先発の一角に入り80イニングを投げた。

以降はマリーンズの主力投手として活躍。98年の七夕の悲劇を経験するなどチーム順位が浮上しないため、暗黒エースの象徴というイメージも。

200イニングを2回記録するなどタフさも見せた。

しかし、2001年の前半戦を境にケガで離脱してしまい、かつての力は戻ることなく2007年に引退。(2000年より右肩の違和感があった)

引退後は2013年から17年まで日ハムの投手コーチを務め、退団後はNHKなどの解説者として活動。ワールドスポーツ×MLBにも出演。

2023年シーズンより投手コーチとして古巣ロッテに復帰。実に16年ぶりの復帰となった。

ちなみに黒木の長女はマリーンズのチアM☆Splash!!のメンバー、MEIである。

 

<査定について>

闘志→これは付けざるを得ない。闘志を込めたピッチングスタイルは社会人時代に教えられたものと語っている。

youtu.be

冒頭より

 

クイックE→この年ボークを取られてます。97年にも1回あり

対ピンチE→リリーフ時は回途中の登板もあり、前述の通り肌に合わなかったのは間違いないだろう。(98年のリリーフやった時ダメだったのは必然かもしれない)

 

<後記>

宮崎訛りが心地いいです。

 

ではでは

山中 潔(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

4球団を渡り歩いてきたジャーニーマン、最後のチーム

<選手紹介>

山中 潔(やまなか きよし)

1961年10月29日生まれ 大阪府出身

PL学園高-広島東洋-福岡ダイエー-中日-日本ハム-千葉ロッテ(1995-1996)

 

<1995年成績>

61試合 .183 0本 3打点 1盗塁

 

<寸評>

高校時代の同期はのちに広島で同僚になる小早川毅彦がいる。

1979年のドラフト4位で広島に入団、その後ダイエー、中日と渡り歩き日本ハムにトレードされると田村藤夫に次ぐ2番手捕手の座を獲得するも、1994年オフに戦力外通告を受け、ロッテのテストを受け合格。

ロッテ1年目は定詰雅彦に次ぐ61試合に出場。チームの2位躍進にも貢献。

翌年1996年には田村藤夫日本ハムから移籍してきたため、2番手捕手としての座を失い96年限りで引退。

引退後はロッテでバッテリーコーチを務め、里崎智也や橋本将の育成に尽力。

特に里崎智也からは山中の名前が上がることが多く、YouTube上でも度々聞かれる。

その後日本ハム、ロッテのコーチを歴任し、東京国際大学ノースアジア大学のコーチも務めた。2020年からは日本ハムに復帰してコーチを務めている。

 

<査定について>

キャッチャーB→定詰をDにした差分です(?) 戸柱にもついたことあるのでセーフ

対左F→主に右投手の時に先発でした

チャンスF→サンプル数少ないながらも得点圏打率が低いです

 

<後記> 

このあとロッテは里崎や橋本が出てくるまでキャッチャーのやりくりに苦しむことになります。

定詰放出や田村藤夫が1年で移籍したせいで清水将海がルーキーで開幕マスクをかぶるはめに...(その後吉鶴と併用される)

 

ではでは

大村 巌(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

光る君の名は

イワイワオ~~~~~~~~~~~~~

 

<選手紹介>

大村 巌(おおむら いわお)

1969年5月31日生まれ 北海道出身

東海大四高-ロッテ・千葉ロッテ(1988-2003)

 

<1995年成績>

37試合 .271 4本 23打点

 

<寸評>

高校時代、夏の甲子園でのちに同僚となる伊良部秀樹からホームランを打ち、注目され1987年ドラフトでロッテから6位指名を受け入団。

1995年は林博康と共にアメリカ1A・バイセイリア・オークス野球留学し、シーズン途中でチームに合流した。

翌年96年から99年まで準レギュラーとして活躍。99年には13本塁打を放った。

しかし、以降はケガや突発性難聴にも苦しみ2003年に引退。

2006年からは日ハムの打撃コーチに就任。

野手転向したばかりの糸井嘉男中田翔を育てたことでも知られている。

2013年からは横浜DeNAで打撃コーチを務め、13年の秋季キャンプから外れた筒香嘉智と横須賀(当時の秋季キャンプは奄美大島で実施)で練習を行い、日本を代表する大砲に育て上げた。

16年からは古巣ロッテに復帰。2020年からは再び横浜DeNAで二軍打撃コーチを務め、来シーズンからは育成部門の打撃コーチを務める。

 

<査定について>

パラメータ→翌年以降コンスタントに成績残してますので...

三振→この年の三振率は.252

代打〇→翌年.412(17-7) 2本塁打 一応この年も.500(4-2)でした

 

<後記>

公開する際、応援歌のデータも併せて公開しますのでお楽しみに。

 

ではでは。

ピート・インカビリア(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

1億7千万の大型扇風機

<選手紹介>

ピーター・ジョセフ・インカビリア (Peter Joseph "Pete" Incaviglia)

1964年4月2日生まれ アメリカ出身

オクラホマ州大-MLB-千葉ロッテ(1995)-MLB-メキシカンリーグ-米独立リーグ

 

<1995年成績>

71試合 .181 10本 31打点

 

<寸評>

大学時代はシーズン48本塁打NCAA通算100本塁打と屈指の長距離砲として名を馳せ、エクスポズから全体8位指名を受けるも一度は拒否。

 

結局レンジャーズへの移籍を前提とした入団となり、エクスポズ入団後すぐにレンジャーズ(当時の監督はボビー・バレンタイン)へ移籍。1986年のメジャー開幕戦で4番として出場。

この移籍の一件から契約から1年はトレードできないという規則が追加された。(なお、日本では荒川事件の影響ですでに規則にあった。)

ルーキーイヤーから30本塁打と長打力を見せつけたが、いかんせん調子の波が激しく以降は3球団を渡り歩いた。

 

1994年のMLBストライキの煽りを受けて1995年にボビー・バレンタインが監督に就任した千葉ロッテマリーンズに移籍。

しかし、日本の変化球攻めに対応できずプロキャリア初の二軍落ちも経験。

ファンからは手厳しいヤジも飛ぶこともしばしばあった。(オウムに売るぞインカビリアや打たなきゃ出家インカビリア など)

 

1年で日本を去った後はメキシカンリーグなどでプレーし、2002年に引退。

以降は米独立リーグの監督を務めている。

 

<査定について>

扇風機、併殺→71試合で74三振、10併殺

 

あとは天性のパワーです。

 

<後記>

応援歌はジッタリンジンの「夏祭り」の間奏とされてますが、試合中に演奏されたかは不明です。(二次会の音源はある)

 

カメハ様の査定を参考にさせて頂きました。

 

30歳が正当です。ごめんなさい🙇

 

ではでは

サブロー(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

勝利の星目指して

<選手紹介>

サブロー (大村 三郎 おおむら さぶろう)

1976年6月1日生まれ 岡山県出身

PL学園高-千葉ロッテ(1995-2011)-読売-千葉ロッテ(2012-2016)

 

<1995年成績>

28試合 .188 0本 2打点 3盗塁

 

<寸評>

高校3年時は1番センターで選抜に出場、PL学園では1学年上に松井稼頭央、1学年下に福留孝介がいた。

1年目はショートと外野を兼務。インカビリアの不振もあり高卒ルーキーながら28試合に出場。1999年以降は1軍に定着。安定した守備とチャンスに強いバッティングで2度の日本一に貢献、2011年シーズン途中に工藤隆人+金銭とのトレードで巨人へ移籍。

しかし、オフにFA権を行使しロッテへ移籍。巨人にはわずか5か月のみの所属だった。

復帰後はベテランとしてチームを支え、2016年に引退。引退試合には巨人の元チームメイトも複数駆け付け、人望の厚さが垣間見えた。

引退後はロッテのスペシャルアシスタントや楽天のファームディレクターを務め、2023年シーズンよりロッテの2軍監督に就任。ロッテの現場には7年ぶりの復帰となる。

 

<査定について>

送球F、エラー→2軍で15失策でした。ルーキーなのでこのくらい粗くていいでしょう。(?)

初球〇→サブローの代名詞です。これはデフォ

 

<後記>

一時期セカンド挑戦してましたね。来シーズンからサブローがロッテのユニ着てるの見れるのはいいですね。

 

ではでは

西村 徳文(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

ベテランのスピードランナー

<選手紹介>

西村 徳文(にしむら のりふみ)

1960年1月9日生まれ 宮崎県出身

宮崎・福島高-鹿児島鉄道管理局-ロッテ・千葉ロッテ(1982-1997)

 

<1995年成績>

91試合 .213 0本 7打点 7盗塁

 

<寸評>

キャリア前半はセカンドやサードを守っていたが、1989年以降は外野手としてプレー。

首位打者1回に盗塁王4回と実績抜群だが、ロッテというチーム柄か日が当たることは少なかった。

引退後は2012年までロッテでコーチ、監督を務め、2010年にはシーズン3位からの日本一を達成し「史上最大の下剋上」を完成させた。

2016年からは同郷の福良淳一が監督を務めるオリックスでコーチを務め、2019年から2020年まで監督を務めたが両年とも最下位に終わった。

2022年はロッテ時代の同僚が多く在籍する福井ネクサスエレファンツのGM兼会長に就任。(監督は南渕時高、ヘッド兼投手コーチには吉田篤史、野手コーチは早坂圭介)

kmmr-2960.hatenablog.com

濱将乃介に盗塁技術を教え込み、2022年ドラフトで中日からドラフト5位指名を勝ち取るまでに育て上げた。

 

<査定について>

代打〇→この年は振るわなかったが、前年代打時.625(8-5)と大当たり

サヨナラ男→この年サヨナラ打2本を記録

ケガE・回復E→5月に風疹で欠場し、その試合で諸積が4安打したため以降は控えに

 

<後記>

ベテランが衰えてきた感を出しました。

この年の長打は4本だけなので弾道1にしました。

 

ではでは

南渕 時高(1995年 千葉ロッテ)【パワプロ2022再現選手】

気合いを入れろ

<選手紹介>

南渕 時高(みなみぶち ときたか)

1965年10月29日生まれ 大阪府出身

天理高-青山学院大-東芝-ロッテ・千葉ロッテ(1990-1997)-中日-オリックス

 

<1995年成績>

107試合 .271 4本 31打点 5盗塁

 

<寸評>

社会人時代にはパンチ力ある打撃で都市対抗、日本選手権の優勝に貢献。社会人のベストナインにも選出され、1990年にロッテに入団。2年目以降はコンスタントに試合に出場し、ショートのレギュラーを張った。

93年には14打席連続出塁の日本記録を達成。95年からはセカンドにコンバートされた。

その後小坂誠の加入や若手内野手の台頭があり出場機会が激減。

98年に中日に移籍、2000年にオリックスに移籍し、同年引退。

引退後は独立リーグ信濃でコーチを務め、現ヤクルトの赤羽由紘を輩出。22年に福井で監督を務めるも5月末で休養し、代行監督はロッテ時代の同僚、吉田篤史が務めた。

(なお、吉田篤史も6月に休養を発表し、代行監督の代行は早坂圭介が務めた。また、今シーズン限りで福井球団の解散が発表された。)

 

<査定について>

バント〇→この年14犠打、通算122犠打を記録

強振多用→168cmと小柄であるが大きく振るスタイルである

回復C→2年目から96年まで100試合以上出場

 

<後記>

中日時代にはキャンプで午前中に練習を終え、朝帰りをしていたことを燃えドラチャンネルで暴露されてました。

www.youtube.com

素晴らしいトーク

 

 

ではでは