山本 功児(1984年 ロッテ)【パワプロ2022再現選手】
パ・リーグの「やまもと こうじ」
<選手紹介>
山本 功児(やまもと こうじ)
1951年12月25日生まれ 大阪府出身
三田学園高-法大-本田技研鈴鹿-読売-ロッテ(1984-1988)
<1984年成績>
125試合 .301 10本 66打点 4盗塁
<寸評>
巨人時代は好守の一塁手として知られていたが、あの方がいたので主に外野で起用されていた。ちなみに宇野ヘディング事件を引き起こした張本人である。(バッターとしてショートに打ち上げた)
1984年にロッテへトレードされると開幕から5番ファーストで定着し、初めて規定打席に到達。翌年もゴールデングラブ賞を獲得するが、1986年からは落合博満がファーストに回ったため、レフトや指名打者に回るもケガもあり、レギュラーを張るまでには至らなかった。1988年には愛甲猛がレギュラーに定着し、同年引退。
その後はロッテでコーチ、監督を務め、平井光親や福浦和也を首位打者に育て上げた。
監督としては在任中Bクラスのみだったが、2005年の日本一の礎を築いた。
2004-05シーズンは巨人にコーチとして復帰するも、堀内監督退任と共に巨人を退団。このタイミングで初めて現場から離れた。
以降は病気も患い、2016年に亡くなられた。
長男の山本武白志は横浜DeNAで育成選手としてプレーした。
また、今年からロッテの二軍監督に就任したサブローは山本功児が背負っていた背番号86を背負う。
<査定について>
併殺→85年リーグ最多の22併殺打
代打〇→巨人時代は代打の切り札でした。
サヨナラ男→こちらも巨人時代に3本のサヨナラ打を記録。
それ以外はデフォです(たぶん)
<後記>
監督用ではないです。
ケガEでもよかったかな...
ではでは